管理職とリーダーの違いは何か

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管理とは、人がやるべき事をきちんとしているかを監督すること。伝統的な「監督」の考え方は、従業員は誰かに見張られていなければまじめに仕事をしなかったり、間違いを犯したりするという恐れに基づいている。
「管理者や多くの教員」は後ろに向かって進み、自分の軍隊の誰かが行進を乱していないかに目を光らせる。後ろ向きに行進しているので地平線の向こうを見ることはできないのだ。
一方の「リーダー」は、自分のチームと自分自身を信頼しており、皆が後ろに付き従ってくれることを確信しながら、正面を見据えて自信を持ち前進する。信頼ができる人を雇い、監督は最小限にとどめて自由に力を発揮させるだけの自信がある。
管理者は、信頼に身を任せることができない。神経質かつ批判的で、警戒を怠れば悲惨な結果が自分に振りかかると思い込んでいる。
管理職の恐怖心は放置され続けている大きな問題点であり、ビジョンや創造性、協調性、収益力を企業から奪っている。
恐れを抱いている管理者の思考を、自信にあふれたリーダーのものに変えることは難しい。私たちも、恐怖に基づいた管理法を刷り込まれているので、その他にも人々を統率する方法があるということに気付かない。
だが方針や規則でがんじがらめにせずとも、人々の統率は可能だ。そのためには、人々を意思決定のプロセスに巻き込み、力を合わせて素晴らしい成果を出そうと励ますことだ。
人は本来、創造的で協調性があるものだが、毎日あるいは毎週行われる無意味な評価や順位付けがそれを阻害している。

以下に、あなたの上司が管理者だがリーダーではないことを見分ける特徴は決定を下す前にチームに意見を求めず自分の権力を誰にも分け与えたくない。他の意見を聞かずに決定を下す権限こそが自分の力の源だと思っている。

部下の努力や業績を認めない。ゆるぎない力関係を保ちたいがために、チームメートを認め感謝することを恐れる。

間違いを認められない。上司が間違っていることを全員が知っていても、言い出せない雰囲気を周囲に作り出している。部下は上司が間違っていないふりをし、上司もそう信じているふりをする。

反対意見、あるいは丁寧な議論でさえも受け入れられない。

部下からのアドバイスは誰もいない密室で1対1でなければ聞き入れられない。

部下が自分より上の幹部と話すことを許さない。自分の意見より部下の意見が信頼されることを恐れている。

チームメンバーを擁護せず、政治資本は自分のためだけにしか使わない。

部下や企業のためになる場合でも、将来の見通しをチームメンバーに伝えない。「知識は力なり」という格言を信じており、入手した情報は秘密にし、小出しに伝える。

自分の地位を脅かすと感じる情報やフィードバックを軽くあしらう。「検討しておきます」という言葉を、単にあなたを黙らせたいがために使う。あなたの意見を本当に検討するつもりは一切ない。

会社に最良なことを実行するよりも、自分の得た地位や権力を守ることを大事にしている。

恐怖心にあふれた管理職は、どうやって自分の地位を守っているのだろうか? 当面は、部下を恐怖で管理して数値的な業績を出すことで、地位を保つ。だが恐怖による管理法はやがて、信頼関係がないため崩壊する。

恐怖は短期的には効果を発揮するが、部下はやがて、上司は自分の地位を盾にしているだけで、実際は無力だと気が付く。

上司が恐怖心に縛られているようなら、まずすべきなのは、仕事探し、人生は長いが、自分に見合わない人に時間と能力を費やす時間はないでしょう。

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